うたろぐ

twitterよりもうちょっと書きたいこと用

スター・ウォーズ一つも見たことないけど、フォースの覚醒見てきました

スター・ウォーズ/フォースの覚醒」見てきました。

スター・ウォーズシリーズは、そのうち見よう見ようと思いながら結局見ずじまいで、今まで生きてしまいました。ここまで来たらエピソード7デビューも面白いだろうと開き直って、シリーズの予習を一切なしで映画館へ

おー、ハリスン・フォード。で、この人誰? ハン・ソロ? え、誰? ルーク・スカイウォーカーが456の主役だってのはかろうじて知ってるけど、この人みんな知ってんの? やだ! 知らないのアタシだけ!?

と、いった風に、7デビューは散々な結果になりました

せっかくのご縁なので、これから、456123をシリーズ通して見るつもりなのですが、その前にいきなり7を見た感想を書き留めておきます

そうすれば、数十年前に埋めたタイムカプセルの厨二作文を赤面して読むような気持ちを、たった映画6本見る時間で得られるかもしれませんから



で、感想。早速6本見終わった未来の自分が全力で殴りにきそうなことを言いますが、ぶっちゃけ初見に厳しい作りですよね。この映画

前作のエピソード3が10年前、今回の7に対してシリーズ連番としての前作のエピソード6が実に30年以上前なんだから、僕のような、今回が初見って人はそれほど珍しくないはず

別に過去作のあらすじをダイジェストでやれと言うわけでなく、何にも知らない一見さんでも、単体の映画として、とりあえず浅い楽しみ方ができるような作りにはできなかったのかなと、で、面白かったら過去作も見てね! という感じに

本作初登場で新シリーズのメインキャラクターとなりそうな、レイとフィン。あとBB-8についてはしっかりキャラクター造形が描写されています。

さすがにレイは主役っぽいので、多くはまだボカされています。フォースが発動し、スカイウォーカーのライトセイバーとも因縁浅からぬ描写を見ると、彼女が待ち続けている「家族」もシリーズの系譜に繋がる重要人物なのでしょう

そして、それは次回作で語られるのでしょうが、このまま予習しないで見ると。ほー、この思わせぶりに出てきたこの人がレイの父かー。で、誰? この人みんな知ってんの? やだ! 知らないのアタシだけ!?

という状態になりそうですので、今回のところはボカしていただいてありがたいです

フィンは冒頭、ヘルメットに付けられた血糊の手形が 、その他大勢の兵士の中から選ばれたスティグマ(聖痕)として機能し、FNなんたらという記号からフィンという名を与えられる洗礼を経て、だんだん一個人としてアイデンティティを形成していく過程は大変分かりやすいです

ただこれだけ分かりやすい即席のイニシエーションって死亡フラグだよなあとか思わないでもないですが

そして、BB-8。可愛い。すごい。すごい可愛い。ボールにモチが乗っかってるだけのデザインなのに、アクションも芝居もオールラウンドにこなす名優っぷり。ロボ萌え的に大変ポイント高いです

と、一見さん接待モードだったのはここまで。レジスタンスの幹部っぽいハン・ソロが出てきて、レジスタンスのボスの姫将軍って誰? ナウシカクシャナ足して2で割ったような人なの? とか思ってたら、ナウシカクシャナ足して30年経った感じの方が出てきて、そうだよね。ナウシカ劇場版も、もう30年以上前の話だもんね。と、しみじみ

今シリーズのラスボスっぽい、えらくキレやすいダース・ベイダーが出てくるといよいよ人間関係がわけわからなくなります

結局見終わってストーリーまとめてみると

伝説の勇者の地図を敵に奪われないように先んじて解読して、伝説の勇者に会いに行きました

おわり

浅い。浅いよ。登場人物の人間関係がわからない一見さんが遊べるプール、すっごい浅いよ

こんな浅瀬じゃBB-8たんとぱちゃぱちゃするくらいしかすることがないです

思えば2015年は有名タイトルの続編、リブートが多かった年でした。

同じ監督が作り続けているマッドマックス。既にジェームズ・キャメロンの手を離れて久しいターミネーターと違って、スター・ウォーズは今回初めてジョージ・ルーカスの手を離れて制作されたため、色々各方面に配慮が必要だったんだろうなあというのは容易に想像がつきますので、まあその、なんだ

とりあえずこれからシリーズを4から順に見ていくとします

すごい逆刃刀空中コンボが見たいぜ【るろうに剣心 京都大火編感想】

映画『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』公式サイト映画『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』公式サイト

るろうに剣心 京都大火編みてきました

ネタバレ感想で、原作コミックにも触れるつもりでしたが、あまり本編に触れてませんので、細かいことは気にしない未見の方が読んでも問題なさそうです。

シネマトゥデイよりみどころ

和月伸宏原作の人気コミックを基にした2012年の前作に続き、原作のクライマックスともいうべき「京都編」を前後編で実写映画化したアクション大作の前編。日本制圧をたくらむ強敵を倒すべく京都へと向かう、人斬り抜刀斎こと緋村剣心の活躍を描く。主演の佐藤健やヒロインの武井咲らが引き続き出演するほか、剣心の宿敵役の藤原竜也伊勢谷友介らが新たに登場する。監督は、前作と同じくテレビドラマ「龍馬伝」や『ハゲタカ』などの大友啓史。迫力満点のスケールと驚異的なアクションに目を奪われる。

映画『るろうに剣心 京都大火編』 - シネマトゥデイ

実写版るろうに剣心続編決定!京都編を前後編で!志々雄真実役は藤原竜也さま!!

という第一報を見て、

ぬ゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!

う゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!

と、思わず、藤原竜也のマネをしながら興奮しました。

巻町操が、朝ドラ「花子とアン」の安東もも役の土屋太鳳なのも楽しみ。まあこの二人がるろ剣風のバーチャルメイジ舞台で動いてくれれば、まあ満足かなくらいの軽い気持ちで劇場へ。

同じくシネマトゥデイよりあらすじ

かつて人斬り抜刀斎と呼ばれた伝説の人斬り、緋村剣心佐藤健)。刀を置き、平穏な生活を送る剣心は、ある日、剣心から影の人斬り役を引き継いだ志々雄真実(藤原竜也)が京都でその名をとどろかせていることを知る。政府が派遣した討伐隊は志々雄を前に成すすべがなく、最後の望みとして剣心に白羽の矢が立つ。志々雄の野心を阻止すべく、剣心は京都へ向かう。

いやー、面白かった。操ちゃんの怒りの怪鳥蹴りハイキックも決まってたね!

藤原竜也さまの叫びっぷりがちょっと足りないけど、それは次回のお楽しみだね!



……



と、素直に感想書くとこれで終わってしまいまして。前回のゴジラは今までのシリーズ全く知らないでレビュー書いたので、色々手探りだったのですが、今回は原作コミックもほぼリアルタイムで読んでて、好きな作品なので、色々書けるよね。と思っていたのですが、単純に面白いと意外に書くとこないもんですね。

とはいえ、せっかくなので、ひねり出して書きます。アクションについて。

主人公剣心はかつて、維新志士の側で要人の暗殺などを請け負っていた伝説の人斬りでしたが、明治維新が成って以降は不殺(ころさず)の誓いを立て、その象徴としての武器が、通常の刀とは、刃と峰を逆にこしらえた逆刃刀です。

これなら普通に斬っても峰打ちになるので、剣心の不殺の誓いを守るに都合がよいと共に、不殺でないと色々と都合の悪い少年漫画で主人公が大暴れするにも都合のよいナイスなアイディアです。

実際は刃をこしらえてないとは言え、鉄棒で殴られれば人間無事じゃないっすよねーというツッコミはあるんですが、まあそこは飛天御剣流の達人、剣心の絶妙な力加減の成せる技ということで。

ここで面白いのが、逆刃刀というアイディアは元々はおそらく少年漫画作品としての要請から生まれたのだと思うのですが、

逆刃刀

峰打ち

死なない

強い相手は一撃では倒れない

倒れない相手には連続技を入れる

というルールが作中で生まれ、これって多分連載当時流行していた格闘ゲームの影響じゃないかなと思うんですよね。

それまでゲームの演出というのは基本アニメや映画の後追いだったのが、格闘ゲームのブーム以降、そのドット絵モーションの気持ちよさが、アニメやコミックに逆輸入されはじめていったのが、るろ剣連載当時の時代だった気がします。

All you need is killがプレイミス→リセットにより積みあがるプレイヤーキャラクターの屍の山というゲーム的リアリズムを題材にしたように、格闘ゲームでの操作の気持ちよさを追求したモーションがプレイヤーの支持を受け、ゲーム的リアリズムとして映画やアニメの映像作品に昇華されていったというのがあるだろうなあと。

この辺、僕は格ゲーというと春麗さんのムキムキの太ももとモリガンさんのおっぱいくらいしか印象に残ってなく、アクション映画もあまり詳しくないので、あまり語れる材料がないのですが、例えば、空中コンボみたいなのって、今のアクションシーンでたまに見ますが、あれって格ゲー的表現から生まれたんじゃないかなあと。

そして、るろ剣も剣撃チャンバラでありながら、逆刃刀という武器故に、一般的なチャンバラは一撃バサリと斬ったら終わりのところを、連撃コンボが可能。憎き敵を斬って斬ってまた斬って、それでも斬ってまた斬ってという痛快アクションが可能。でも敵は死なない。という特殊なカタルシスのアクション描写を確立したのは格闘ゲームの影響が少なくないと思います。

実際作中は仲間に振りかかる戦禍と不殺の誓いの狭間で、一剣客として、どうアイデンティティを確立していくかの方が主眼で、上記のような気持ち良いアクションシーンは殆ど無いんですけどね。

47roninのときにもちらっと書いたのですが、チャンバラ文化というのが断絶していて、昔の銀幕スターは普通に和服の着付けとチャンバラを嗜んでたそうですが、今の日本のスターはそんな暇があるならまず歌とダンスを鍛えた方が使い勝手はよさそうです。

今更、一から古き良き殺陣をイケメン俳優に仕込むよりは、CGやワイヤーアクションで画面作っていく形にならざるを得ないよねと。

そういう意味では前回の実写版るろうに剣心はチャンバラ断絶後の剣客アクション映画としては野心的で興味深かったと思います。

今回は逆刃刀アクションがさらに進化してて、剣心に斬られた雑魚が脳震盪っぽくフラフラする描写は、「おおっ逆刃刀っぽい!」とキュンとしました。

ラストシーンの謎の男福山雅治は、剣心の師匠の比古清十郎だと思うのですが、で、あるなら、飛天御剣流最終奥義伝授イベントもやるんでしょうし、逆刃刀連撃アクション的には、実は奥義の天翔龍閃より、九つの斬撃を神速で同時に為す九頭龍閃の方をやってくれるんだろうか。やるならどう表現するんだろうというのが、個人的な次回作の最大の見所であります。

あ! あと、もちろん忘れちゃいけない藤原竜也さまの断末魔の叫びもね!!

なんか、映画見てて、志々雄一派って戦略的にこんなにグダグダだったっけ? 原作だともう少しフォローあったっけ? と思って見てまして、帰って原作読み直したら、原作からしてグダグダでした。良かった! 原作通りだ!

なのでその辺、ストーリー的な整合性はハナから期待してませんので、ただただ、気持ち良いアクションが見られるよう期待してます。

今回のゴジラは、バットマンビギンズだ【GODZILLA ゴジラ感想】

映画『GODZILLA  ゴジラ』公式サイト映画『GODZILLA ゴジラ』公式サイト
ゴジラ見てきました。ネタバレ感想です。ゴジラ本編はもちろん、パシフィック・リムのネタバレも含みます

シネマトゥデイよりみどころ

怪獣映画の傑作として映画史に名を残す『ゴジラ』を、ハリウッドが再リメイクした超大作。突如として出現した怪獣ゴジラが引き起こすパニックと、ゴジラの討伐に挑む人類の姿を壮大なスケールで活写する。メガホンを取るのは、『モンスターズ/地球外生命体』のギャレス・エドワーズ。キャストには『キック・アス』シリーズなどのアーロン・テイラー=ジョンソン、『ラスト サムライ』などの渡辺謙ら実力派が結集。ゴジラの暴れぶりもさることながら、凶悪度の増したデザインに息をのむ。

映画『GODZILLA ゴジラ』 - シネマトゥデイ

ギャレス・エドワーズ監督作品ははじめて見ますが、これ、制作がレジェンダリー・ピクチャーズってのがポイントなのですね。そういえば、ロゴはちょくちょく見るなあと思ってリスト眺めてみると、まず目を引くのがクリストファー・ノーランバットマン三部作「バットマン・ビギンズ」「ダークナイト」「ダークナイト・ライジング」。同じくノーラン監督の「インセプション」同じく製作中の「インターステラー」もここ。そして何より至高のカイジュー映画「パシフィック・リム」制作。ロゴをちょくちょく見るどころじゃない、近年の個人的ヒット作品の大半がここじゃないですか。

以下Wikipediaより、公開済み作品をコピペ。

バットマン ビギンズ Batman Begins (2005)
スーパーマン リターンズ Superman Returns (2006)
レディ・イン・ザ・ウォーター Lady in the Water (2006)
アントブリー The Ant Bully (2006)
ビール・フェスタ 無修正版 〜世界対抗・一気飲み選手権 Beerfest (2006)
マシュー・マコノヒー マーシャルの奇跡 We Are Marshall (2006)
300 〈スリーハンドレッド〉 300 (2007)
紀元前1万年 10,000 BC (2008)
ダークナイト The Dark Knight (2008)
ウォッチメン Watchmen (2009)
オブザーブ・アンド・レポート Observe and Report (2009)
ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い The Hangover (2009)
ブライアン・シンガーの トリック・オア・トリート Trick 'r Treat (2009)
かいじゅうたちのいるところ Where the Wild Things Are (2009)
ニンジャ・アサシン Ninja Assassin (2009)
タイタンの戦い Clash of the Titans (2010)
ジョナ・ヘックス Jonah Hex (2010)
インセプション Inception (2010)
ザ・タウン The Town (2010)
デュー・デート 〜出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断〜 Due Date (2010)
エンジェル ウォーズ Sucker Punch (2011)
ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える The Hangover Part II (2011)
タイタンの逆襲 Wrath of the Titans (2012)
ダークナイト ライジング The Dark Knight Rises (2012)
ジャックと天空の巨人 Jack the Giant Slayer (2013)
42 〜世界を変えた男〜 42 (2013)
ハングオーバー!!! 最後の反省会 The Hangover Part III (2013)
マン・オブ・スティール Man of Steel (2013)
パシフィック・リム Pacific Rim (2013)
300 〈スリーハンドレッド〉 〜帝国の進撃〜 300: Rise of an Empire (2014)
GODZILLA ゴジラ Godzilla (2014)

レジェンダリー・ピクチャーズ - Wikipedia

で、このレジェンダリー・ピクチャーズが、なぜこんな、一部の人達にとって大変文化的で芸術性の高い映画を作ってくださるのかというと、映画評論家の町山智浩先生曰く。

まず、この映画のプロデューサー。制作した会社があって。レジェンダリーピクチャーズっていうのが、この映画会社を作ったのが、トーマス・タルっていう人で。この人、いわゆるハゲタカファンドとかをやってて。ずっと、いわゆる金融関係で金を儲けていた人なんですね。投資のプロなんです。投資のプロなんだけども、それで稼いだ財で何をしようかと思ったら、怪獣とアニメとマンガの映画会社を作るっていうのが彼の夢だったんですね!

町山智浩が語る 2014年ハリウッド版ゴジラが素晴らしい理由

ガチオタ投資家トーマス・タルさま。あなたが神か。あなたがオタク一切衆生を救済する菩薩か。オタクの矜持というのは知識だと思っていましたが、実は第一に熱量。次に財力なのかもしれません。CDを箱買いしてレシートを匿名掲示板に晒して承認欲求を得たりするレベルとは圧倒的な差のトーマス・タルさまの財力に、もう足を向けて寝られない。えっと、どこですか?レジェンダリー・ピクチャーズはカリフォルニア州バーバンクですか。よくわからないけど、だいたい東の方ですね。これから東を頭にして寝ます!

以下同じくシネマトゥデイよりあらすじ。

1999年、日本。原子力発電所で働くジョー(ブライアン・クランストン)は、突如として発生した異様な振動に危険を感じて運転停止を決意。だが、振動は激しさを増して発電所は崩壊し、一緒に働いていた妻サンドラ(ジュリエット・ビノシュ)を亡くしてしまう。それから15年後、アメリカ軍爆発物処理班の隊員である、ジョーの息子フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は、日本で暮らす父を訪ねる。原発崩壊事故の原因を調べようと侵入禁止区域に足を踏み入れた二人は、そこで思いも寄らぬ光景を目にする。

僕はこの作品がゴジラデビューなので、他のシリーズはわからないのですが、本作品から読み取る限り、ゴジラは人類が生み出してしまった原子力という力を相殺するために地球が生み出した「現象」であると解釈しました。

人類の力ではどうすることのできない大天災。例えば、台風や大地震。この二つは地球上の偏ったエネルギーを中和する現象です。台風は赤道周辺に溜まった熱を南北に逃す、地球規模の対流現象です。地震もプレートの移動によって生じた歪みを解消しようとして発生します。

こうした、台風、大地震と並ぶ天災クラスの地球のエネルギーのバランスを取る存在がゴジラなのかなと。

作品通して、ゴジラをよく知らない僕が見ても、ゴジラというのはこうあるべきという何重もの約束事を注意深くクリアして物語を積み重ねているような印象を受けました。

ただ、その結果、作品自体面白かったか?と問われると、ゴジラが太平洋横断してサンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジに上陸して、アンギャーって叫ぶところまではワクワクしましたが、その後いまいちカタルシスがなくて、あまり手放しで面白かったとは言えませんでした。

これも僕がゴジラをよくわかっていないからなのかもしれないと、僕の中での至高のカイジュー映画パシフィック・リムと比較してみます。パシフィック・リムもエンドロールの最後に、「本作品を本多猪四郎(初代ゴジラ監督)に捧ぐ」みたいなの出てたもんね。

パシフィック・リムは、かいつまんで言うと、異世界と繋がった海底のゲートからわっしゃわっしゃカイジューが攻めてくるのをパイロット2人がシンクロして操作する巨大ロボット、イエーガーで迎え打って、最後は核爆弾でゲートを閉じて、もうカイジューは来なくなりました。地球は平和になりました。めでたしめでたし。という話です。きゃーかっこいい! 超おもしろかった!! こうやってあらすじ書いてるだけでも、もう一度見たくなるね!!

それに対してゴジラにはイエーガーみたいな巨大ロボットはいません。ゴジラは敵か味方かというと、どちらかというと味方的なニュアンスで、敵役は巨大翼竜のオス・メスです。

ゴジラはエイリアンではなく、地球の天災のような存在なので、科学技術の粋を尽くしたイエーガーのような巨大ロボットで倒したり追い払ったりしてめでたしめでたしというストーリーはムリがありそう。よしんばそうした超科学兵器でゴジラを倒したとしても後味の悪いビターなエンドになってしまいそうです。

では、あからさまな敵役だった巨大翼竜雌雄が倒されてカタルシスがあったかというと、パシフィック・リムのような、人類が苦戦の末多大な犠牲を積み重ねた上、自ら掴みとった勝利に比べると、人類側の対応は場当たり的で、おろおろしてる間にゴジラ様が倒してくれた流れなので、カタルシスは弱いです。

では、ラストで主人公のフォードが、妻子に再会するシーンにカタルシスはあったかというと、未曾有の大天災を乗り越えて生き残ったカタルシスはありますが、それはクライシス映画のそれで、ゴジラってそういう話でいいのかしらというハテナが観賞後ずっとぷかぷかしてました。

で、帰ってからネット見てたら、早くも続編制作決定のニュースを見かけました。

7月25日に日本公開を迎えた特撮怪獣映画ハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』の続編制作が正式に決定し、ギャレス・エドワーズ監督の続投も発表された。

『GODZILLA ゴジラ』続編決定!ラドン、モスラ、キングギドラ登場にファン熱狂 | マイナビニュース


アメリカ最大のコミックとポップカルチャーの祭典「コミコン インターナショナル サンディエゴ2014」において、我らが菩薩トーマス・タルさまが登壇。ギャレス・エドワーズ監督のビデオメッセージと最新映像で、続編にはラドンモスラキングギドラの登場を示唆。映像終了後にタルさまが

東宝のおかげでラドンモスラキングギドラを使うことがきる(引用元ママ)」と日本へ、そしてコミコンのファンへ感謝の思いをのべて降壇。大盛況のまま幕を閉じた。

版権ゲットですか。こうした作品は権利関係クリアにしていく交渉が重要そうなのでタルさまグッジョブです。

で、こうしたニュースを眺めていたら、ぷかぷかしてたハテナが、エクスクラメーションマークに変わりました、??→!!



今回のゴジラは、バットマンビギンズだったんだ!!!



レジェンダリー制作のおそらく最初の作品バットマンビギンズも、延々バットマンはどうして生まれたのかの描写が続く、アメコミ原作のアクション映画的なカタルシスを求めて見ると物足りない映画でしたが、続編の名作ダークナイト見るためには必須らしいと聞いてて、ダークナイト見るからには、とりあえず見ておくかと、ノルマ消化気分で見て、まあこんなもんかという印象でしたが、その後ダークナイト観賞したらすごい衝撃で、ああ、ちゃんとビギンズ見といてよかったなあと思いました。

ゴジラも本作がリブートで、エンターテイメント性をある程度犠牲にしてでも今回は舞台設定をきちんと整えておく必要があったのでしょう。本番となる次回作のために。

なるほど、そういうことなら、ここは素直に、ダークナイト級の衝撃を次回作に期待するとしましょう。頼みますよ!ギャレス・エドワーズ監督!トーマス・タル菩薩さま!今後もレジェンダリー・ピクチャーズ作品は優先的に見るようにしますので、どうかひとつ。

中国語の部屋のチャイナ服少女【トランセンデンス感想】

20140721230223映画『トランセンデンス』公式サイト “超越”ヒット中!

トランセンデンス見てきました。途中からネタバレが入ります。

以下シネマトゥデイより引用
映画『トランセンデンス』 - シネマトゥデイ

ダークナイト』シリーズなどのクリストファー・ノーラン監督が製作総指揮を務めるSFサスペンス。亡き科学者の意識がアップロードされた人工知能が進化を果たし、人類や世界を混乱に陥れていく。メガホンを取るのは、『インセプション』『マネーボール』などの撮影を手掛けてきたウォーリー・フィスタージョニー・デップモーガン・フリーマンら、実力派スターが顔をそろえる。電脳化が進む現代に警鐘を鳴らす物語と鮮烈なビジュアルに息をのむ。

メメントインセプションバットマン3部作と、今まで見たクリストファー・ノーラン作品は全部ヒット。監督ではないけど、マン・オブ・スティールも良かったです。なので、彼絡みの作品はなるべく見ようとしてます。とは言え、今回はノーランが製作総指揮だというのはエンドロールで初めて知った体たらくなのですが……。

同じくシネマトゥデイよりあらすじ。

人工知能PINNの開発研究に没頭するも、反テクノロジーを叫ぶ過激派グループRIFTに銃撃されて命を落としてしまった科学者ウィル(ジョニー・デップ)。だが、妻エヴリン(レベッカ・ホール)の手によって彼の頭脳と意識は、死の間際にPINNへとアップロードされていた。ウィルと融合したPINNは超高速の処理能力を見せ始め、軍事機密、金融、政治、個人情報など、ありとあらゆるデータを手に入れていくようになる。やがて、その進化は人類の想像を超えるレベルにまで達してしまう。

ジョニー・デップというと、普通のイケメン役をやりたがらない、こじらせスターで、ティム・バートン監督作品でキワモノキャラを嬉々として演じるイメージで僕の中で固まっています。

本作品も、ボサボサ頭に無精髭の冴えない科学者然としたキービジュアルで、監督はティム・バートンではないですが、ジョニー・デップ通常運転みたいで安心です。ヒロイン役のレベッカ・ホールは、調べたらアイアンマン3でも科学者役で出てたのですね。全然気が付かなかったです。

以下ネタバレ。





もし、コンピュータに科学者の頭脳をインストールしたら――

キリストになる。

という、シンプルな映画に見えました。

異なるドグマ(教義)の新しい宗教的指導者が現れ、身体の不具を治す奇跡などを起こし信者を増やすも、旧支配層によって磔刑にされました。そんなお話。

最後エヴリンが裏切り、コンピュータウイルスを仕込む辺りもユダの裏切りっぽく感じました。

タイトルのtranscendence(超越、卓越、優越)からして、超越した人類。ポスト・ヒューマンを描きたかったと思うのですが、昔からある、すごいマザーコンピュータがあって、人類が制御できなくなって云々というターミネータースカイネット的な話とどう違うんだろう? あまり変わらないんじゃないかなあ。という印象でした。

最後、エヴリンの頭脳もアップロードされて、ネットワーク上に複数の人格が存在するとどうなるの?という辺りまで踏み込んでいたらポスト・ヒューマンもののSFとして興味深かったかもしれないなと思います。



とは言え、映画レビューでこうやって、やれ新規性がないだの、SFというのはこうあるべきだのと言った論を展開するのは、僕の嫌いな面倒くさいSFファンそのものですし、そもそも僕もそんなに偉そうに語れるほどSF詳しくないので、もう少し作品内容に沿って広げられるところを広げて行きましょうか。



作中で、過激派グループに追われるエヴリンを逃がすために、すでに人工知能と化したウィルが一時的に身を隠すための宿を予約します。その予約名が「チューリング」でした。

チューリングといえば、アラン・チューリング。コンピュータの父です。この名前を選んだのはウィルのユーモアでしょう。

アラン・チューリング - Wikipedia

同性愛の罪で逮捕され、青酸中毒で自殺という寂しい最期ですが、華々しい功績が多数あります。

第二次大戦時、ドイツの暗号機エニグマを解読するボンベを開発。

コンピュータを数学モデル化した、チューリング・マシンを定義。

そして、人工知能を評価する実験方法として、「チューリング・テスト」を提案。

このチューリング・テストが彼の業績の中でも本作品と関わりが深いです。

チューリング・テスト - Wikipedia

人間の判定者が、一人の(別の)人間と一機の機械に対して通常の言語での会話を行う。このとき人間も機械も人間らしく見えるように対応するのである。これらの参加者はそれぞれ隔離されている。判定者は、機械の言葉を音声に変換する能力に左右されることなく、その知性を判定するために、会話はたとえばキーボードとディスプレイのみといった、文字のみでの交信に制限しておく。判定者が、機械と人間との確実な区別ができなかった場合、この機械はテストに合格したことになる。

要は、人間と機械を対話させて、人間か機械か判断つかなかったら合格。その機械は「知的」である。ということです。

チューリングの時代は音声合成技術とか現実味ない頃でしたので、文字コミュニケーションに限定していますが、作中、ウィルがアップロード作業中に英単語の羅列を辞書順に発音するシーンがあって、おお、ジョニデロイド作るには必要な作業ですよね! と、ボカロ厨的にキュンとしました。起動直後の発声が不明瞭なシーンとかもキュンとしました。声オタですから。

作中で人工知能に対して「自らの自我を証明できるか?」「難しい問題ですね。あなたはできますか?」というやりとりが2回あります。正直2回めはもう少し気の利いたアレンジをしてほしかったですが。

ここで自我は知的と同義で使われていると思われます。

この辺、欧米は自我の有無に非常にこだわるような気がします。

これが日本のドラえもんであれば、のび太くんが、「ドラえもん、君は自らの自我を証明できるか?」と尋ねたところで、「のび太くん、変なものでも食べたのかい?」辺りの返事が返ってきそうで、疑われるまでもなく自我があります。

日本だと付喪神、九十九髪などの、99年使った道具や、99年生きた動物が自我を得る民間伝承に代表されるように、その辺り、あっさり受け入れてしまう印象。

作中、人工知能となったウィルが目指すユートピアが、本当に生前のウィルが望んでいた世界なのだろうかという疑念の形で、ウィルの自我が疑われます。

争いのない誰もが平等な世界はエヴリンが求めたものだろう、そもそもウィルは世界に興味はなかった。人工知能はウィルの人格を投影しただけで、エヴリン自身が生み出したのではないかという疑惑です。

この疑惑はラストで、断末魔のウィルが、エヴリンが望んでいた世界を作っただけのことだと諭すシーンで、人工知能はウィル自身の自我であるという結論を見ます。

これも魔女裁判で、石を抱いて浮いてこなかったら魔女ではなく人間、という、死んだから人間論法でちょっともんにょりするんですけど。

チューリング・テストと言えば、最近のニュースで、チューリング・テストに合格した人工知能が遂に出たというものがありました。

史上初:人工知能の13歳の少年、チューリングテストに“合格” - ITmedia ニュース

これに対して、まだ気の利いた返しをするだけのbotにすぎないという反論もあります。

史上初のチューリングテスト合格者「Eugene」はテストに合格していないと著名な専門家たちが指摘 - GIGAZINE

twitterでフォローしてた人が実は人間ではなくbotだったという話もありまして、対面で1対1で話していたら気付くような違和感があっても、twitterの流れの中ではさして気にならず、ふとbotと知ってびっくりするという体験はちらほらあるようです。

このチューリング・テストに対する反論として有名な思考実験があります。

中国語の部屋 - Wikipedia

ある小部屋の中に、アルファベットしか理解できない人を閉じこめておく(例えば英国人)。この小部屋には外部と紙きれのやりとりをするための小さい穴がひとつ空いており、この穴を通して英国人に1枚の紙きれが差し入れられる。そこには彼が見たこともない文字が並んでいる。これは漢字の並びなのだが、英国人の彼にしてみれば、それは「★△◎∇☆□」といった記号の羅列にしか見えない。 彼の仕事はこの記号の列に対して、新たな記号を書き加えてから、紙きれを外に返すことである。どういう記号の列に、どういう記号を付け加えればいいのか、それは部屋の中にある1冊のマニュアルの中に全て書かれている。例えば"「★△◎∇☆□」と書かれた紙片には「■@◎∇」と書き加えてから外に出せ"などと書かれている。
彼はこの作業をただひたすら繰り返す。外から記号の羅列された紙きれを受け取り(実は部屋の外ではこの紙きれを"質問"と呼んでいる)、それに新たな記号を付け加えて外に返す(こちらの方は"回答"と呼ばれている)。すると、部屋の外にいる人間は「この小部屋の中には中国語を理解している人がいる」と考える。しかしながら、小部屋の中には英国人がいるだけである。彼は全く漢字が読めず、作業の意味を全く理解しないまま、ただマニュアルどおりの作業を繰り返しているだけである。それでも部屋の外部から見ると、中国語による対話が成立している。

漢字を全く読めない人が、全ての問に答えるマニュアルに従って書かれた通りに返答をすると、傍目には筆談が成立しているように見えるけど、中の人は漢字を全く理解していないので「知的」であるとは言えないという思考実験です。

中の人は「知的」でないが、そのマニュアルを含んだ装置全体は「知的」であると言えるという反論があったりするようで面白いです。



ちなみに、全ての問に対して理想的なツンデレ返答ができるマニュアルに従って書かれた通りに機械的に返答する、チャイナ服の少女は「知的」か否かといえば――

知的であるとは言えないが、機械的に意味もわからずツンデレ返答する少女という存在は萌え以外の何物でもないと断言せざるを得ないっ……。

今、ここにいる私ではない私【オール・ユー・ニード・イズ・キル感想】

7月4日公開!映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』公式サイト

オール・ユー・ニード・イズ・キル見てきました。先行上映。一般公開は7/4から。

映画公開の報を見て、これを機会に積んでた原作も読了。小畑健の漫画版も読了と、しっかり原作押さえてから見に行きました。

以下映画本編及び原作のネタバレを含みます。あと毎度のごとくまどか☆マギカに触れます。それと「アルジャーノンに花束を」にも少し。



























冒頭から原作と全然違うので面食らいました。考えてみれば、トム・クルーズ(51)が原作のように初年兵として前線に配属されるのにムリがあるので、てっ!(山梨弁) ちょっと待って! 今、僕何て言った!? トム・クルーズ(51)!? えっ! 51歳!! トム・クルーズってもう51歳なんですねえ。ググって思わず二度見したよ。トップガンが1986年で28年前なんですねえ。

気を取り直して、トム・クルーズ(51)が原作のように一兵卒として初陣を迎える舞台を用意するために以下の様な導入で始まります。

報道官のビル・ケイジ(トム・クルーズ(51))少佐は、将軍から撮影班として前線に従軍しろと命令されますが、あの手この手で全力でお断りしようとします。最後は将軍のあることないこと報道しまくって信用失墜させてやるぞ、いいのかおい!と脅す始末。結果将軍に不穏分子とみなされ脱走兵扱い。少佐なのに二等新兵扱いでめでたく前線へ配属されます。

ビル・ケイジの清々しいチキンっぷりは原作の主人公キリヤ・ケイジくん以上です。そういえば、原作でヒロイン、リタ・ヴラタスキに気軽に話しかける数少ない人物の一人に、ノリの軽いおっさん戦場カメラマンのラルフ・マードックがいますが、ビル・ケイジのキャラクター造形としては、キリヤ・ケイジ + ラルフ・マードックがベースなのかもしれません。

敵のギタイはリセットしてやり直せる能力があり、そのループを司る特殊なギタイをビルが倒してしまったことでループに囚われるのは原作通り。

原作では、キリヤもリタもループのバックアップ端末と化してしまい、他のバックアップギタイを倒した上で、キリヤとリタのどちらか一人しかループを抜けられない仕掛けが判明します。

強いほうが生き残って地球を救うという結論に達した二人の一騎打ちが始まります。結果はキリヤの勝利。一人生き残った彼はギタイ殲滅を誓い終劇。

ビターな終わり方で個人的には嫌いじゃないのですが、天下のハリウッド・エンターテイメント作品となるなら、ここはハッピーエンドに改変してくるだろうなという予想はしていました。ここ、後でしっかり掘り下げたいのですが、実際二人どころか、ビルのタイムループ能力が復活し、リセットで全員生き返るハッピーエンドになっていました。

他にも原作にはないけど、他のループ物語で見かけるシチュエーションが色々盛り込んであって楽しめました。

そこ右、ここで止まって、そこを、あっ(死亡、リセット)

的な繰り返しは上手に編集されたゲームリプレイ動画見てるみたいで映像作品ならではで楽しいです。

ルートが袋小路に達し、絶望して自暴自棄になるけど、新たな分岐が見えてくるところとか。ここに原作の基地から逃亡するけどギタイが追ってきて死亡のバッドエンド回を挟んでくるのは、ホントハリウッドのシナリオ構成のパズル力には頭が下がります。

終盤、ビルがギタイの体液を失いループ能力が失われ、もうリセットは効かない緊迫感。今までループを信じてくれなかった仲間を説得し共闘。

原作では、リタではなく、上官のフェレウ軍曹にトレーニングしてもらうのですが、映画版の軍曹は石頭で最後までループを信じてくれません。

この上官は石頭で全く頼りにならないってのはハリウッド戦争映画あるあるなイメージ。考えてみると理解のある上官だと問題を上に上げてしまい政治的な解決をされてしまう恐れがあります。現実世界ではそれで正解なのですが、やはり、ハリウッド・アクション映画は政治力ではなく暴力で問題を解決しないと面白くないですからね。やはり上官は石頭でよいのです。

そして無残に倒れたエッフェル塔、凱旋門に突撃する輸送機、水浸しのルーブル美術館のガラスのピラミッド。パリの壊れっぷりがとても素敵。



さて、ちょっと踏み込んで書きたいのは、この二人が助かるハッピーエンドです。

ループ物語によくあるシチュエーションの一つに、ループを繰り返しすぎてしまったせいで、主人公とヒロインの体感時間が違いすぎてコミュニケーションが取れなくなるという悲劇があります。

同じくらいの知能でないと恋愛ができないという悲劇は、先日お亡くなりになったダニエル・キイス先生の「アルジャーノンに花束を」を思い出します。物語終盤でチャーリィとキニアン先生が結ばれますが、二人の知能レベルが揃い恋人同士となれるのはあの一瞬しかないのが切ないです。

同じように体感時間が同じでないと恋人同士になれないというのもループ物語あるあるです。別のループでどれだけ信頼を積み重ね分かり合っても、次のループではまた「はじめまして」からのもどかしさ。

このシチュエーションは特にエロゲー出自のループ物語で頻出で、まどか☆マギカ1話の暁美ほむら鹿目まどかのセリフにいちいち唇を噛みしめるシーンは本編最後まで見てから、もう一度見直すと、鹿目まどかにとっては暁美ほむらは初対面であっても、暁美ほむらにとってはそうでないがそれを伝えられないもどかしさが表れていてとても印象的です。

この体感時間の違いの悲劇については、原作では言及されており、最後、キリヤとリタと二人のうちどちらかしかループを抜けられないことが分かった上での一騎打ち。キリヤが勝ち、リタを看取る中でのセリフです。

 ぼくは理解した。
 昨日会ったときから、リタはもう死ぬ決意をしていたのだった。そんな彼女の気持ちも知らず、なにかのフラグが立ったなどとぼくは勘違いしていた。リタを救うために使えるはずだったたった一日の時間を、ぼくは無駄に消費してしまった。
「ごめんよ……ぼくはなにも知らないで……」
「あやまる必要はない。おまえは勝った」
「勝つだなんて……このままずっと繰り返せばいいじゃないか。時は前に進まないけれど、ぼくときみはずっと一緒にいられる。いつまでだって。ひとりの人間が過ごせる一生分よりも長い時間一緒にいることだって可能だ。毎日戦争があってもぼくらならだいじょうぶだよ。何千何万のギタイが襲ってきたってかまやしない。リタ・ヴラタスキとキリヤ・ケイジがいるんだ。きっと切り抜けられる」
「同じ一日をか?毎朝おまえは、見知らぬリタ・ヴラタスキと会うのだぞ」

この最後の

「同じ一日をか?毎朝おまえは、見知らぬリタ・ヴラタスキと会うのだぞ」

というリタのセリフからは、二人がずっと一緒であっても、そこにいるリタは、今ここにいる私ではないという悲しみが読み取れる気がします。

映画版のリタは随分とキップのよいキャラクター造形で、ビルが身体損傷、大量出血などで、ループ能力が失われそうな兆候があったときはもちろん、シチュエーション的にムリだと分かると、あっさりさっくりビルを殺します。かつて自分もループ経験をしていたので、ビルの唯一の理解者となれるのですが、彼女にとってのビル・ケイジは毎度見知らぬ初対面の男からのスタートです。

そんな初対面の男が自分のことをなんでも知っているといううす気味の悪さに対する戸惑いは、ダムへ向かう車の中での二人の会話の、嘘のミドルネームを教えるリタや、死んだ上官の話を嫌がるリタに伺えます。

体液を一定以上失うとループ能力が失われるというアイディアは見てて膝を叩きました。これならループを抜けるのは単純にビル一人の問題になるので、二人でハッピーエンドが可能だなと。

さて、二人で迎えた果ての明日(映画版原題:edge of tomorrow)

あらためて見知らぬリタ・ヴラタスキと出会うビル・ケイジはというと……。

トム・クルーズ(51)のトレードマークの

満面のニヤケ面……。

「リタ、君は僕のことを全く知らないだろうけど、大丈夫、僕は君のことは全部知ってるよ、見知らぬリタ・ヴラタスキだろうが、構うものか。僕が君を好きなんだから!」という舌なめずりが聞こえそうです。

リタ、逃げて!!

いや、せっかくビルはループ能力復活してるんだから、戦場のメス犬らしく股間に2,3発ぶち込んでやるくらいでちょうどいいかもしれません。

体感時間の違いの悲劇をどう折り合いつけて綺麗に終わらせるか注目していましたが、見事トム・クルーズ(51)のオヤジ力で解決しました。やだ、かっこいい。

原作にあったエロゲ的なボーイミーツガールの切ないループ物語の雰囲気は徹底的に解体再構成されて別物に仕上がった作品でしたが、カリフォルニアロールのような、寿司じゃないけど美味いよね映画になったと思います。

あと、漫画版は、基本原作にかなり忠実で、かつ、ループでかぶる描写を上手に再構成してコミックス2巻の紙数でよく収めたものだと感心するのですが、一点褐色巨乳美人の食堂のお姉さんレイチェル・キサラギが漫画版では白い肌になってるのが、気になりまして。
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レイチェル・キサラギさん

もう、小畑先生、ちゃんとフェレウ軍曹並にトーン貼ってよね。
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フェレウ軍曹

とも、思ったりしたのですが、ここはいっそ映画版ですごい褐色巨乳を期待するしかないな!と意気込んでいたのですが、映画版は食堂のシーンすらなくて、諦めていたところ、ラストで新報道官にレイチェル・キサラギを思わせる褐色美人が登場したので密かにガッツポーズ。ホント、原作パーツの解体再構成の手際には最後まで舌を巻きました。面白かったです。

私はクズになりたい

空き地の草刈りを終えました。こうした軽作業をしていると、頭がいい感じに回ってきて、どうでもいいことを色々と考えます。散歩・ウォーキングをしている感じに近いですね。

刈っている雑草で目立つのは、ススキ、ヨモギ、クズなど、あとニンニクっぽい匂いのするニラみたいなやつ。

そしてセイタカアワダチソウ

このセイタカアワダチソウが調べてみるとなかなか面白いのです。

外来種で戦後一気に増えて猛威を振るい、日本に一大セイタカアワダチ帝国を築きました。その帝国の繁栄を支える大きな要因が2つあります。

1つは地下50cmまで根を伸ばすこと。ここまで深いところまで根を伸ばす在来種がなく、肥料独占。

もう1つはアレロパシー。根から他の植物の生長を阻害する化学物質を分泌します。

この2点、他の植物を駆逐しながら今まで使われなった豊富な肥料を財源に栄華を極めたセイタカアワダチ帝国ですが、かつて、4m前後まで隆々と伸びたセイタカアワダチが一色一面に広がる勇姿はあまりみかけなくなりました。最近は背も低くなり、ススキとちまちまバトルをしている印象。

このセイタカアワダチ帝国の衰退も、さきほどの帝国を支えた、根が深い、アレロパシーという2大要因が原因となっているのが面白いです。

まず、アレロパシー。この他の植物の生長を阻害する化学物質が、セイタカアワダチソウ自体にも効くらしく、ある密度を超えて群生すると自家中毒を起こして枯れる。なんかマヌケな話だなあと思いますが、業界独占状態の企業が自家中毒を起こして組織が腐敗していくとかありそうな話で、人間もセイタカアワダチ帝国を笑えません。

そして深いところの肥料も昔はモグラやミミズが土を混ぜっ返してくれましたが、最近は少なくなりましたので、数十年で食い尽くしてしまいます。仕方なく小型化。

ところで、植物には極相という状態がありまして、その地域の気候に合った長期間安定する状態のことです。日本だと、ミズナラ、ブナなどの陰樹林になるそうです。人の手が数十年入ってない山の感じでしょうか。足元もツタやクズが絡み合って、全然歩けない。進もうとすると、ナタとチェーンソーで重装備しないとダメな感じ。森ガールとかムリめな感じ。

多分森ガールがイメージする森ってもっと気温湿度が低いところの極相林なんでしょうね。頑張れば馬でも進めるくらいの。北欧とかがそうなのでしょうか。ハリウッドの日本ファンタジー映画で騎馬が颯爽と森を駆けるシーンとか見ると、どこのジャパンですか? と思います。

そして、そんな極相林にたどり着くと、セイタカアワダチソウの姿はありません。極相に遷移していく過程でしか存在できないというのが色々と示唆に富み、無理やり教訓を引き出せそうな気がします。一方、クズなんかは、空き地にも生えるし、多分極相の陰樹林にも普通に生えてそうです。

翻って、日本のメガバンク再編とか見てると、経済も極相に向かって安定を志向するのだろうなと思いますし、極相に向かうまでに猛威を振るうセイタカアワダチみたいな存在をどうやってやりすごせばいいのか。

結論としては、私はクズになって極相の日陰で生き残りたい。そうだ、みんなでクズになろうよ。クズサイコー。

といったところです。

なぜ王子様はキスを拒んだか? 答:借金があった【アナと雪の女王感想】

アナと雪の女王 | ディズニー映画アナと雪の女王 | ディズニー映画
アナと雪の女王みてきました。と、感想書こうとブログ開いたら、年末の「47RONIN」以来なにも書いてませんでした。あ、あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いしいたします。

毎度映画感想をブログに書くときは、今どき効果あるか分からないけど、ネタバレ防止目的で1画面分程度の改行を入れるのですが、今回は前半ネタバレなしなので、改行なしで。表題の件は下の方にあります。

主題歌のLet it goがそこかしこでかかってるので、覚えておこうかなとYoutubeの公式動画を繰り返し見ていました。松たか子版もいいけど、歌ってて気持ちいいのは断然英語版


FROZEN - Let It Go Sing-along | Official Disney HD ...

夜の雪山を一人沈んで歩くエルサから始まり、自分の力を隠さず生きていこうという決意を歌っていくうちにあれよあれよと氷の建物ができあがり、ラストは氷のドレスに着替えて登る朝日をバルコニーで両手を広げて迎え、カメラぐっと引いて氷の城の全景でフィニッシュ。

いやーすばらしい。さすがディズニー。気分盛り上がってきたので本編も見ておくかと劇場へ。2D吹替版。

前座に白黒フィルムと3Dカラーを行き来するミッキーアクション。オリジンと最先端技術の夢の融合を狙ってるんでしょうか。こんな芸当ができるのはミッキーマウス保護法のおかげだよね! みんなもそう思うだろう? ハハッ!(裏声) という幻聴が聞こえてきましたが気のせいでしょう。

そういえば、手塚マンガも初期は枠線にぶら下がったり、ふっ飛ばされて枠線が折れたりしてたんですが、マンガ描写がリアルになるにつれ、あまりそういう演出はされなくなったみたいな話が「テヅカ・イズ・デッド」にありました。そう考えると、そもそも、マンガの枠線をメタに使いこなしたり、3Dと白黒を行き来する演出はディフォルメキャラクタでないとしっくりこないのかもしれません。

あと、話の筋が、でかい犬(ディズニー詳しくないので名前が出てこない)がミニー攫って、ミッキーが仲間と一緒に懲らしめるという、まあ童話、昔話に類型ある筋なんですが、ネットでよく見る、失言したDQNを追い込んでく風景とも重なり。ああ、戦争ってなくならないですねえとか嘆いてみたり。

で、本編。

エルサ役の吹替の松たか子が海外で評判という話をネットで見てたのですが、アナの吹替の子も芝居も歌も上手。高音の入りのひっくり返るコブシまわしが往年の松田聖子を彷彿とさせてとてもよいです。今どきこんな歌い方する若い子いるんだなあ。どこから連れてきたのだろうとスタッフロール見たら、神田沙也加。神田…SAYAKA…。わお!松田聖子の娘だ!

以前、ボカロ曲カバーしたり、ボカロになりたい(自分の声をボーカロイドにしてほしい)みたいなのを見て迷走してるなあと思ってましたが、いい役貰えたようで一安心です。(なぜか親戚のおばさん目線)

さて、そろそろネタバレ入れていきますね。一回しか見てないので妄想を膨らませている間に、事実と大幅にかけ離れている気もしますが、気にせずいきます。



ストーリーについては、童話界最強魔法「王子様のキス」を否定したことについて、色々話題になってました

この作品のジェンダー観については、大野左紀子先生のレビューがかなり踏み込んでまとめてありまして、ぱっと見、自立した女性の礼賛に見えて、その実

男への幻想を捨てよ。しかし自己解放はほどほどにせよ。国や家族という共同体を大切にし、各々の社会的役割を遂行せよ」というのが、(作り手が意識しているかどうかは別にして)この作品の発している率直にして辛口なメッセージである。

『アナと雪の女王』にかかったジェンダー観の砂糖衣 - Ohnoblog 2

というのは、そうだなあと思ったし、世界中のマス向けに作られるディズニー作品の方向性としてはとてもバランスが良いと思いました。

全体通して見ると、物語の流れとして「王子様のキス」を否定したい意図はわかるけど、個人的には、あれ、ハンス王子、そこで断っちゃうの? おいおい、そこはぶちゅっといっちゃえよ。という第一印象がありまして、そこちょっと妄想広げて書いておこうかなと。

「三男が世界を変える」みたいな言い方がありまして、名家であれば長男は家督を継ぐし、次男くらいも色々忙しい。名家で育った教養と人脈がある上自由な三男が世界を変えるような可能性を持っている。という風の話です。が、逆に言えば、世界を変えるようなことをしないと生き残れなくて、居場所のない本家で飼い殺されるか、出奔して野垂れ死ぬのが大半。

さて、ハンスは王子と言えど、13人兄弟の末っ子。どーせ王位継承順第なんたら位だし、本国居場所ないし、エルサに近づいたけどムリゲーだったので、軽そうなアナならいけるだろ。いやーマジチョロかったわー。アナもエルサも事故死を装ってアレンデール王国を乗っ取るわー的な告白をします。

アナ雪の世界みると、王政だけど、銃火器、大型船はあるって辺りで、大航海時代〜市民革命前夜の15〜17世紀くらい。原作というか原案というかモチーフ程度にしかなってない「雪の女王」の作者アンデルセンデンマークなので、デンマーク含めた北欧辺りをゆるーくイメージすればいいんでしょうかね。

ヨーロッパ内で仲良く戦争し続けてた時代から、大型船の機動力を手に入れて外洋に出て新天地の原住民から貿易というか詐取っぽい感じで潤うのですが、海の覇権を得るために、海軍艦隊の軍拡競争が激化し、予算は青天井で軍備が間に合わないので海賊を傭兵化で間に合わせる国家公認海賊とかいて、私掠船免状とかあって、そして平和になった世界だけど海賊は伝統芸能化して生き残ってるのがモーレツ(ミニスカ)宇宙海賊の世界観ですね。

ハンス王子。このままいけば大航海時代以前ならどうでもいい内紛の傭兵の大将におさまるか、以後なら新大陸の占領にせっせと僻地に飛ばされていた。そんな軍人生活を送っていたように妄想します。いわゆる市民革命以後の職業軍人とは違うけど。

そんな軍人生活よりは、アレンデール王国に婿養子(女王の妹なので分家の婿養子だけど)に入るというのは彼の身の丈にあった良い選択であるように見えるのです。しかし彼は真実の愛のキスはできないと断ります。この辺、物語の悪役というのは自らの悪に対してはとても誠実です。

なぜハンス王子はキスを断ったのでしょう。

・アナを愛していなかった
確かにそう言ってますがもう少し踏み込みましょうか。彼に世界征服規模の分不相応な野望があったにせよ、アレンデールに婿養子に入るのは野望の足がかりとしては良い手に見えます。そう性急に乗っ取らなくても、アナやエルサが野望のパートナー足りえるか見極めてからでもよかったような気がします。そう考えるとアナもハンスもせっかちすぎます。おまえらほんと似たもの同士だな。もういいから結婚しちゃえよ。

・13人兄弟の末っ子で愛を知らずに育ったので、真実の愛が分からない
筋は通ってますし、個人的に本命なのですが、割と救いようがないです。かと言ってここでぶちゅっと真実の愛でないキスをしてしまって何も起こらないというのも、いくらソフトに描いてもあまり親御さんがお子様に見せたくない、薄い本ルートもしくは昼ドラルートに分岐してしまいそうなので、打てない手です。

・アレンデール王国はインカ帝国的な未開のインティ・ライミなのでアナを人として見てない
うわー。レイシストだ。でも未開の酋長の娘を許嫁からひっぺがして「真実の愛」で籠絡するアバターみたいな話はハリウッドにいっぱいあって、どちらかという未開側に肩入れしがちな日本人の視点で見ると、おらたちのお姫様を毛唐が掻っ攫っていきやがった的なモヤモヤが毎度あります。

・借金があった
急いで返さなきゃいけないから信頼を築いている暇がなくて国を乗っ取るしかない。借金なりなんなり時限のある事情があるというのは十分考えられます。その場合、たとえ、この場を乗り切っても自転車操業でどのみち破滅が待っていますので、ハンスとアナの幸せな結婚生活という分岐もばっさり断ち切れます。うん、これだね。これにしとこう。すごいね、世の中だいたい金で解決できるね。

で、ここらへんまで妄想ふくらませてからWikipedia見たら、

監督のジェニファー・リーは、ハンス王子の本質について原作の「悪魔の作った鏡」であるとインタビュー[7]で語っている。鏡のように周囲の人物の心象を写し出しているのだと。

アナと雪の女王 - Wikipedia

だそうで。やだなあ。ここまで自己紹介乙ですか。恥ずかしいなあ。世の中だいたい金で解決できるね。ハイ!アイ・アム拝金主義者デスヨ。




あと、先ほどの大野先生のはてなブックマークに、なるほどと思ったコメントがありまして。

b:id:mahal
つか、王の急死後は摂政として国政を支え女王出奔後も他国の王子を利用して混乱を収めつつ、最後の後処理をきっちりこなすクッソ有能な大臣が男な段階で、そうしたフェミニズムが思いっ切り相対化されてるようにも。

はてなブックマーク - 『アナと雪の女王』にかかったジェンダー観の砂糖衣 - Ohnoblog 2

いましたね。ちょくちょく見切れてる超有能ご家老。

普通にイメージ広げると、先代国王夫妻に大恩を感じていて、アレンデール王国とエルサ・アナの姉妹の行く末を案じている超有能スーパー爺の感じ。

戴冠式はしきたりだなんだ言っても企画立案実行はこの爺が全部取り仕切ってそう。

爺の身になって考えると、戴冠式と同時に婿も取りたかったんだろうけど、あまりの引きこもりぶりにリハビリ必要だろうと、まずは戴冠式で国交を回復し、その中でいい相手を見繕おうくらいに考えていたのかもしれません。

となると、ハンスとアナがくっついたのは、爺からすると渡りに船。とりあえず仲良くさせといて、裏で身辺調査。で、調べたら大借金があってケチな詐欺繰り返していたので、とりあえずアナの言うなりに国王代行と祭り上げながらも裏で捕縛準備。王子の悪が露見してからの対応の早さは、おそらく準備していたのでしょう。さすが、超有能スーパー爺。

で、一点気になるのは、この超有能スーパー爺。エルサの能力についてどこまで感知していたのかなあという点。

エルサはLet it goで、誰にも知られちゃいけないけど知られてしまった!! Well now they know!! (手袋を投げながら)と、歌っていますが、爺は知ってそうです。国王夫妻から直々に知らされていたのか、有能故にどこかで気がついていて、忠義故に見て見ぬふりをしつつ、内々の世話係だけには不便のないよう指示してそうです。

エルサがこの超有能スーパー爺に自分の能力を打ち明けていたら、物語はもっと平和に、でも小規模に、あまりおもしろくない形に着地していたかもしれません。

能力制御とストレス開放と治安維持を兼ねて、夜な夜な領内の悪を氷の魔法で成敗。事後処理は全部爺。あ、それはちょっと面白そうなファンタジー・アクションかもしれない。でも、なんかそれ、どっかで聞いたことがあるような。

両親を失った正義感あふれる金持ちの子供。夜な夜なスーツを着て悪を成敗。財産管理と事後処理を一手に引き受ける超敏腕執事アルフレッド。



ああ、思い出した。それバットマンだ。

(2014年6月17日追記)
友人にこのエントリを読んで頂いたら、鋼の錬金術師のリン・ヤオ皇子がハンス王子と境遇近いねとコメントいただきました。

確かに彼のような、第十二皇子でありながら国内で少数部族なヤオ族の期待を一身に背負って皇帝を目指す強欲家の王子様であれば、アナもエルサもまとめて幸せにしてくれそう。

とても面白そうですが、全く違うお話になりそうです