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今、ここにいる私ではない私【オール・ユー・ニード・イズ・キル感想】

7月4日公開!映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』公式サイト

オール・ユー・ニード・イズ・キル見てきました。先行上映。一般公開は7/4から。

映画公開の報を見て、これを機会に積んでた原作も読了。小畑健の漫画版も読了と、しっかり原作押さえてから見に行きました。

以下映画本編及び原作のネタバレを含みます。あと毎度のごとくまどか☆マギカに触れます。それと「アルジャーノンに花束を」にも少し。



























冒頭から原作と全然違うので面食らいました。考えてみれば、トム・クルーズ(51)が原作のように初年兵として前線に配属されるのにムリがあるので、てっ!(山梨弁) ちょっと待って! 今、僕何て言った!? トム・クルーズ(51)!? えっ! 51歳!! トム・クルーズってもう51歳なんですねえ。ググって思わず二度見したよ。トップガンが1986年で28年前なんですねえ。

気を取り直して、トム・クルーズ(51)が原作のように一兵卒として初陣を迎える舞台を用意するために以下の様な導入で始まります。

報道官のビル・ケイジ(トム・クルーズ(51))少佐は、将軍から撮影班として前線に従軍しろと命令されますが、あの手この手で全力でお断りしようとします。最後は将軍のあることないこと報道しまくって信用失墜させてやるぞ、いいのかおい!と脅す始末。結果将軍に不穏分子とみなされ脱走兵扱い。少佐なのに二等新兵扱いでめでたく前線へ配属されます。

ビル・ケイジの清々しいチキンっぷりは原作の主人公キリヤ・ケイジくん以上です。そういえば、原作でヒロイン、リタ・ヴラタスキに気軽に話しかける数少ない人物の一人に、ノリの軽いおっさん戦場カメラマンのラルフ・マードックがいますが、ビル・ケイジのキャラクター造形としては、キリヤ・ケイジ + ラルフ・マードックがベースなのかもしれません。

敵のギタイはリセットしてやり直せる能力があり、そのループを司る特殊なギタイをビルが倒してしまったことでループに囚われるのは原作通り。

原作では、キリヤもリタもループのバックアップ端末と化してしまい、他のバックアップギタイを倒した上で、キリヤとリタのどちらか一人しかループを抜けられない仕掛けが判明します。

強いほうが生き残って地球を救うという結論に達した二人の一騎打ちが始まります。結果はキリヤの勝利。一人生き残った彼はギタイ殲滅を誓い終劇。

ビターな終わり方で個人的には嫌いじゃないのですが、天下のハリウッド・エンターテイメント作品となるなら、ここはハッピーエンドに改変してくるだろうなという予想はしていました。ここ、後でしっかり掘り下げたいのですが、実際二人どころか、ビルのタイムループ能力が復活し、リセットで全員生き返るハッピーエンドになっていました。

他にも原作にはないけど、他のループ物語で見かけるシチュエーションが色々盛り込んであって楽しめました。

そこ右、ここで止まって、そこを、あっ(死亡、リセット)

的な繰り返しは上手に編集されたゲームリプレイ動画見てるみたいで映像作品ならではで楽しいです。

ルートが袋小路に達し、絶望して自暴自棄になるけど、新たな分岐が見えてくるところとか。ここに原作の基地から逃亡するけどギタイが追ってきて死亡のバッドエンド回を挟んでくるのは、ホントハリウッドのシナリオ構成のパズル力には頭が下がります。

終盤、ビルがギタイの体液を失いループ能力が失われ、もうリセットは効かない緊迫感。今までループを信じてくれなかった仲間を説得し共闘。

原作では、リタではなく、上官のフェレウ軍曹にトレーニングしてもらうのですが、映画版の軍曹は石頭で最後までループを信じてくれません。

この上官は石頭で全く頼りにならないってのはハリウッド戦争映画あるあるなイメージ。考えてみると理解のある上官だと問題を上に上げてしまい政治的な解決をされてしまう恐れがあります。現実世界ではそれで正解なのですが、やはり、ハリウッド・アクション映画は政治力ではなく暴力で問題を解決しないと面白くないですからね。やはり上官は石頭でよいのです。

そして無残に倒れたエッフェル塔、凱旋門に突撃する輸送機、水浸しのルーブル美術館のガラスのピラミッド。パリの壊れっぷりがとても素敵。



さて、ちょっと踏み込んで書きたいのは、この二人が助かるハッピーエンドです。

ループ物語によくあるシチュエーションの一つに、ループを繰り返しすぎてしまったせいで、主人公とヒロインの体感時間が違いすぎてコミュニケーションが取れなくなるという悲劇があります。

同じくらいの知能でないと恋愛ができないという悲劇は、先日お亡くなりになったダニエル・キイス先生の「アルジャーノンに花束を」を思い出します。物語終盤でチャーリィとキニアン先生が結ばれますが、二人の知能レベルが揃い恋人同士となれるのはあの一瞬しかないのが切ないです。

同じように体感時間が同じでないと恋人同士になれないというのもループ物語あるあるです。別のループでどれだけ信頼を積み重ね分かり合っても、次のループではまた「はじめまして」からのもどかしさ。

このシチュエーションは特にエロゲー出自のループ物語で頻出で、まどか☆マギカ1話の暁美ほむら鹿目まどかのセリフにいちいち唇を噛みしめるシーンは本編最後まで見てから、もう一度見直すと、鹿目まどかにとっては暁美ほむらは初対面であっても、暁美ほむらにとってはそうでないがそれを伝えられないもどかしさが表れていてとても印象的です。

この体感時間の違いの悲劇については、原作では言及されており、最後、キリヤとリタと二人のうちどちらかしかループを抜けられないことが分かった上での一騎打ち。キリヤが勝ち、リタを看取る中でのセリフです。

 ぼくは理解した。
 昨日会ったときから、リタはもう死ぬ決意をしていたのだった。そんな彼女の気持ちも知らず、なにかのフラグが立ったなどとぼくは勘違いしていた。リタを救うために使えるはずだったたった一日の時間を、ぼくは無駄に消費してしまった。
「ごめんよ……ぼくはなにも知らないで……」
「あやまる必要はない。おまえは勝った」
「勝つだなんて……このままずっと繰り返せばいいじゃないか。時は前に進まないけれど、ぼくときみはずっと一緒にいられる。いつまでだって。ひとりの人間が過ごせる一生分よりも長い時間一緒にいることだって可能だ。毎日戦争があってもぼくらならだいじょうぶだよ。何千何万のギタイが襲ってきたってかまやしない。リタ・ヴラタスキとキリヤ・ケイジがいるんだ。きっと切り抜けられる」
「同じ一日をか?毎朝おまえは、見知らぬリタ・ヴラタスキと会うのだぞ」

この最後の

「同じ一日をか?毎朝おまえは、見知らぬリタ・ヴラタスキと会うのだぞ」

というリタのセリフからは、二人がずっと一緒であっても、そこにいるリタは、今ここにいる私ではないという悲しみが読み取れる気がします。

映画版のリタは随分とキップのよいキャラクター造形で、ビルが身体損傷、大量出血などで、ループ能力が失われそうな兆候があったときはもちろん、シチュエーション的にムリだと分かると、あっさりさっくりビルを殺します。かつて自分もループ経験をしていたので、ビルの唯一の理解者となれるのですが、彼女にとってのビル・ケイジは毎度見知らぬ初対面の男からのスタートです。

そんな初対面の男が自分のことをなんでも知っているといううす気味の悪さに対する戸惑いは、ダムへ向かう車の中での二人の会話の、嘘のミドルネームを教えるリタや、死んだ上官の話を嫌がるリタに伺えます。

体液を一定以上失うとループ能力が失われるというアイディアは見てて膝を叩きました。これならループを抜けるのは単純にビル一人の問題になるので、二人でハッピーエンドが可能だなと。

さて、二人で迎えた果ての明日(映画版原題:edge of tomorrow)

あらためて見知らぬリタ・ヴラタスキと出会うビル・ケイジはというと……。

トム・クルーズ(51)のトレードマークの

満面のニヤケ面……。

「リタ、君は僕のことを全く知らないだろうけど、大丈夫、僕は君のことは全部知ってるよ、見知らぬリタ・ヴラタスキだろうが、構うものか。僕が君を好きなんだから!」という舌なめずりが聞こえそうです。

リタ、逃げて!!

いや、せっかくビルはループ能力復活してるんだから、戦場のメス犬らしく股間に2,3発ぶち込んでやるくらいでちょうどいいかもしれません。

体感時間の違いの悲劇をどう折り合いつけて綺麗に終わらせるか注目していましたが、見事トム・クルーズ(51)のオヤジ力で解決しました。やだ、かっこいい。

原作にあったエロゲ的なボーイミーツガールの切ないループ物語の雰囲気は徹底的に解体再構成されて別物に仕上がった作品でしたが、カリフォルニアロールのような、寿司じゃないけど美味いよね映画になったと思います。

あと、漫画版は、基本原作にかなり忠実で、かつ、ループでかぶる描写を上手に再構成してコミックス2巻の紙数でよく収めたものだと感心するのですが、一点褐色巨乳美人の食堂のお姉さんレイチェル・キサラギが漫画版では白い肌になってるのが、気になりまして。
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レイチェル・キサラギさん

もう、小畑先生、ちゃんとフェレウ軍曹並にトーン貼ってよね。
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フェレウ軍曹

とも、思ったりしたのですが、ここはいっそ映画版ですごい褐色巨乳を期待するしかないな!と意気込んでいたのですが、映画版は食堂のシーンすらなくて、諦めていたところ、ラストで新報道官にレイチェル・キサラギを思わせる褐色美人が登場したので密かにガッツポーズ。ホント、原作パーツの解体再構成の手際には最後まで舌を巻きました。面白かったです。